2010年12月02日

其の四十五 修学旅行C

 今年、2010(平成22)年の修学旅行は、11月9日〜12日三泊四日で実施。 高崎駅集合、解散である
 高崎駅東口 ヤマダ電機1階広場集合!
 高崎発 7時46分発。 新幹線を乗り継ぎ広島へ。 
 広島着13時38分である。
翌日、夕刻に京都に入る。
一クラスだけ午前中に大阪に入り京都へ。夜は能舞台見学。
三日目、京都市内班別研修 携帯電話50台使用、
本部携帯15台使用
四日目、午前中京都市内 13時02分京都発
高崎着 16時51分 17時03分着で解散。

1.1993(平成 5)年4月から県教委は「国内の航空機利用」を許可。
  1998(平成10)年4月から、「海外旅行」も許可。
 桐高では、平成7年度から九州・北海道方面を実施したが、平成13〜20年度は再び関西中心となり、21〜22年度は広島となった。

2.大学や研究所、企業見学が行われた。とかく「物見遊山」と批判もあり「進路・生き方学習」の要素を含めたと言える。
 広島・長崎の場合は、必ず原爆資料館の見学等している。

3.平成15年度からは、「三泊四日」となり、奈良・飛鳥方面は時間的には
無理となった。また、中学校での関西方面修学旅行も考慮されたのであろう。

4.京都一日班別自主見学も平成10年復活。なんと35年ぶりである!

5.13〜20年度まで、先ず大阪に行くが、それは大阪城や企業見学ではなく、「ユニバーサルスタジオジャパン」で、午後半日過ごすためであった。
修学旅行も先ずは「息抜き」から始まるわけで、夜行列車を乗り継ぎ、早朝五十鈴川で手を浄め外宮・内宮を参拝することから始まる修学旅行とは、違うのであります。

6.群馬県教委の「旅行制限」が緩和されていくのは、平成5年からであるが
他都道府県からみれば大分条件が厳しかったことを配慮したのであろうが、一種の「自由化」に踏み切った平成5年前後は、いわゆる「バブル崩壊」、のちに「失われた10年」と呼ばれる時代の初期にあたっていて、教育費について
保護者負担の軽減が強く要望されてきていたが、修学旅行に限っては、航空機の利用、場合によっては海外旅行となり、旅行費用もウナギのぼりとなるのだが、保護者からの批判的意見は無かったのであろう。
 桐高の場合は未調査だが、県全体での一校平均旅行費用は、
 平成 元年 平均 6万9000円
    5年 平均 8万7000円
   11年 平均10万3000円である。
 
以下は、1995(平成7)年度以降の桐高修学旅行の略年表である。

 平成7年度〜
   9年度 四泊五日  航空機利用により九州方面
              九州の場合、長崎原爆資料館見学あり
  10年度       広島・神戸・大阪・京都一日自主見学
  11年度       北海道。大学・企業見学あり
  12年度       九州方面
  13年度       橿原神宮・吉野・飛鳥・大阪・奈良・京都
              京都一日自主見学→以後実施
  14年度       大阪・神戸・京都。 集合・解散高崎駅
  15年度 三泊四日  大阪・京都。       解散高崎駅
  16年度       大阪・京都。一日は大学・企業見学
  17年度       大阪・京都。一日は大学・企業見学
                          集合・解散高崎駅
  18年度       大阪・京都。 一日は大学・企業見学
                          集合・解散桐生 
  19年度       大阪・京都。大学見学 
                          集合高崎 解散桐生
   0年度       大阪・神戸・京都、大学・研究所見学
                          集合・解散高崎駅
  21年度       広島・京都。    集合・解散高崎駅
  22年度       広島・京都。    集合・解散高崎駅
  
posted by 100年史編集者 at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 野球