2010年10月07日

其の三十八 帽子・帽章

 2〜3ヶ月前になるが、桐高事務室に、帽子・帽章、特に昔の帽章は手に入りますかというお電話が同窓生から有り、事務室では、現在は、ないのですと答えたということであった。

 1917(大正6)年4月11日の町立桐生中学校開校、第一回入学式の時に、新入生が決められた帽子を被っていたかどうか、それは不明である。渡部初代校長が着任したのは3月30日であり、その時に既に細則が制定されていたとしても、入学者の発表が4月8日であり、制服・制帽等を保護者が準備するのは、かなり難しいと推測する。
 開校当初の「生徒心得」の「第一章 服装」には、
「一 登校のときは、必ず制服制帽靴を着用すべし」とある。
翌大正7年度の初め頃、教職員と生徒全員の集合写真が残されている。
その写真では、生徒は全員帽章のついた帽子を被っている。面白いのは、教職員もすべて帽子を手にしており、教練の坪内鋒三郎は軍服軍帽を着用し写っている。
 この後、帽子は登下校の際、着用は義務づけられていた。戦争末期、昭和20年3月の卒業式集合写真を見ても、生徒は帽子を被っている。一部の生徒が帽子を被らず、また「戦闘帽」などを被っているのは、戦後初期である。

 「旧制中学」から「新制高校」に移り、帽子は変化なく帽章の「中」が「高」に作り替えられた。
 昭和31年の入学生への通知には
「帽子は本校規定の型でなければならない。帽章、学年章、バッジは本校規定のものを規定の位置に附けること」
 昭和34年の「学園生活の心得」には「帽子は本校所定の型のものを着用する。無帽で通学してはならない。」とある。
小生の同級生の一人は、頑として無帽で通し、一年の頃は大分上級生にこづき回されたようであった。最期の写真撮影の時は多分来なかったと思う。

 これが変化し始めるが何時かは断定出来ないのだが
昭和38年の「学園生活の心得」では、
「帽子は本校指定の型のものを着用する」とだけある。
昭和43年の修学旅行の写真では、約半数の生徒が帽子着用
    45年の修学旅行では、約三分の一位か?
    46年の修学旅行では、1クラス数人か?
昭和49年の「学園生活の心得」では
 「帽子は本校指定の型のものを着用する」
生徒手帳が全て保管資料として無いので、「帽子」規定が何時消えたのかは分からないが、実際には、40年代半ばには、帽子着用を生徒はしなくなったと思える。

 それ故、桐中・桐高の帽子・帽章を手に入れようとしても、なかなか困難である。
 もちろん、現在の「生徒心得」には、「頭髪・装身具について」の規定はあるが、「帽子・帽章」についてはない。

なお、帽子等については、戦後であろうか? 指定業者があった。
桐高新聞(1号〜100号)縮刷版の新聞広告で見る限り
 「洋傘と帽子はゼヒ当店へ サトウ帽子店」昭和24年7月の第6号に始まり、「サトウ 帽子洋傘専門店」昭和46年3月の第82号で終わっている。
長い間、お世話になりました!

posted by 100年史編集者 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | その他・閑話
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/41157279
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック