2010年11月07日

其の四十二 修学旅行@

1.六泊七日、七泊八日の関西方面修学旅行!と言っても「強行軍」だ!

  桐生駅午前1時8分出発、未明東京駅着、
「隊伍を整え宮城へ、」「大君います宮城の御前にぬかづき、聖寿の万歳を祈り奉り、皇室の弥栄をお祈り…日本国民と生まれた幸福をつくづく有難く思った。」
午前6時30分姫路行き乗車。
「列車は殆ど他団体、一般客に占領され、一つの車にクラスメーツのみ集って朗らかな中学生らしい旅行気分を味う自由も許されず皆意気消沈の態である。…大多数がスタンダップという訳だ。6、7時間同じ所で立ったまま、ダルマ式の修業を続けた者もある」
熱田神宮、名古屋城をみて、やっと宿泊地鳥羽へ向かう。
「宿に着くとすぐに食事。何しろ夜10時の夕食だ…床についたのは12時近く、皆穏やかに休むべくもない。瀬戸先生(配属将校)の一喝は、一時の沈黙から楽しい夢の国へと誘ってしまった」
 そして「朝5時半、一斉起床だ、7時港より遊覧船で島巡りに出発」といった強行軍である。

 朝6時桐生駅出発し上野まで4時間余り東京駅を正午頃出発し、京都駅着翌朝の午前4時 なんと16時間
 京都駅から東本願寺往復し、電車で伏見稲荷・桃山御陵礼拝し京都に戻る。
徒歩にて方廣寺〜三十三間堂〜清水寺〜円山公園知恩院〜平安神宮
 「…腹の虫も泣き出す、空腹を我慢して旅行するも一興と、関東男児、気旺盛なり。」インクラインから南禅寺へ。
 ようやく電車で北野天満宮〜金閣寺〜徒歩にて宿舎に到着。夜間外出といっても「今日の疲労に耐えかね9時前に帰りて寝に就く」有様である。
 貸し切りバスに乗車し、拝観場所の駐車場で降りて見学、またバスに乗ってといった「ところてん方式」の旅行ではない。ゲートル(巻脚絆)巻いて歩け歩けの旅行である。「京都七条から水田の様にごたごたしたぬかるみを進んでいく」「名古屋の道路は塵が多く、馬糞の山がある」大阪は「自動車や電車が右往左往に続けざま飛んでいる。人は皆そわそわとその間を急いで歩いている。迂闊に歩いていると突き飛ばされる様である」
 しかし、先生方も皆健脚であったなあ! 感服!

2.修学旅行は、1917(大正6)年の開校の年から全学年とも実施。
10月25日 「二日一泊」で「修学旅行を挙行」
 1・2年生が、足尾を経て日光中禅寺湖泊まり。日光を経て帰校。
これが最初の修学旅行である。
  * 全国では、1886(明治19)年、東京師範学校の銚子方面
「 長途旅行」が最初と言われる(教育学事典)。
全学年が揃った大正9年度は、
第一学年     唐沢山方面遠足    
第二学年     日光・足尾方面 泊        
第三・第四学年  水戸地方    泊           
第五学年     三重・京阪方面 (以上「県学事」)

「80年史」によると、大正11年に有志による関西旅行が実施され、五年生全員で実施したのは、大正12年であり、修学旅行が学校行事として行われるようになったと記載されているが、
最初の関西方面への修学旅行は、
大正9年5月17日〜23日の7日間。
 生徒25人、教師3人。この生徒は第一回卒業生28人の学年であるからほとんど参加したと言える。

 伊勢「参宮旅行」は、明治期に一高が伊勢参宮旅行を行ったのが最初と言われ、県下では
前中が明治45年、
太中が大正元年 
高中・沼中・藤中が大正2年に実施、
各学校積立を前もって行っていたと、ある。
桐中でも大正7年の教務日誌抄に「修学旅行貯金積立規程を制定す」とあるが、毎年、全員参加出来たかどうかは不明である。
大正11年の伊勢神宮前の写真には、生徒18人と教師2人が写っている。
12年3月の卒業生は、48人であるから、もし、この写真1枚が参加者全員の写真だとすると、参加者は大分少なかったと言える。
 この時の写真、旅行の栞などは「90年史」にある。
栞は生徒の手で作成されたと思われるが、発行所「桐中内 無資金出版社」、また「不許腹背」などと奥付に有り、桐中生のユーモアを垣間見ることが出来るではないか!

3.戦前の旧制中学時代の関西方面修学旅行データ
「80年史」「90年史」に詳細に記載されているが、一部補足、修正する。
また、「県学事」「桐中教務日誌抄」、個人「日記」等での食い違いもあるが一定の推定も含め、以下まとめた。
[旅行期間]
 1920(大正 9)年〜1923(大正12)年 7日間
 1924(大正13)年〜1937(昭和12)年 8日間
 1938(昭和13)年〜1940(昭和15)年 7日間
[実施学年]
 1920(大正 9)年〜1928(昭和3)年  5年生
 1929(昭和 4)年 3月(昭和3年度)
   3年・4年生で実施。この理由は、前年11月、「昭和天皇」の
   「即位大礼式」が京都御所にて挙行され、その大礼式跡を拝観する事が
   主たる理由であり、多くの学校が同様に実施している。
 1930(昭和 5)年〜1940(昭和15)年 
   4年生(3月では3年生だが)が、3〜4月に実施している。
   5年生は「受験」をひかえているという解説が多いが、それは今流の
   解釈であろう。各中学全員が進学でもない。
むしろ、最上級生の5年時には、教練や野外演習、兵営宿泊等の増加という背景があったのではなかろうか。

[関西までの往路交通経路の特徴]
 1920(大正 9)年〜1926(大正15)年
     大体は、早朝、桐生駅から上野・東京に向かう
 1927(昭和 2)年〜1928(昭和 3)年 
     桐生駅を午後出発し、長野〜金沢泊で京都に入る
 1929(昭和 4)年〜1933(昭和 8)年
     桐生駅午後出発し、篠ノ井経由で名古屋に入る
 1934(昭和 9)年〜1937(昭和12)年
     両毛線(臨時)又はバスで東京、そして名古屋へ。
 1938(昭和13)年〜1939(昭和39)年
     桐生を夜半臨時列車で出発し、横浜へ向かい
     横浜から「汽船」、船中泊で神戸へ向かう。
 1940(昭和15)年 最後の修学旅行は、
     往復夜行列車である。
  *昭和17年卒〜25年卒までは、関西への修学旅行なし。
   (25年卒は希望者で実施)

[関西からの復路交通経路の特徴]
 1920(大正 9)年〜 名古屋から興津に泊まり、最終日に
     東京で見学又は自由時間をとり、桐生に戻る
 1927(昭和 2)年〜1931(昭和6)年
     名古屋から夜行で藤沢乗換、江ノ島・鎌倉見学後 桐生へ
     *鎌倉に立ち寄らない年もある。
     *昭和6年は、詳細な記録なく、場合によっては異なる。
 1932(昭和 7)年〜1937(昭和12)
    神戸港より横浜港まで、「汽船」で船中泊
 1938(昭和13)年〜1939(昭和39)年
     往路汽船のため、復路は名古屋から夜行、
     東京経由で桐生へ
 1940(昭和15)年 復路も東海道線車中泊

[汽船の利用]
 なぜ「汽船」利用が始まったのかは分からないのだが、一般的には昭和4年からの世界恐慌で海運業界が不況となり利用が促され、「海無し県」群馬の生徒に体験させる良い機会と考えられたと言われる。
 県内では、高中が昭和5年に利用している。桐中は、昭和6年は不明だが
昭和7年から14年まで8年利用しており、恐らく県下中学校の中では最も多く利用したのではなかろうか。
 利用した船舶は、   ハワイ丸     9,000噸 
南米移民船である    リオデジャネイロ丸9,629噸、 
ブエノスアイリス丸9,600噸
太平洋航路等で活躍した豪華客船
            秩父丸 17,498噸 
龍田丸 16,955噸
太平洋の女王と言われた 浅間丸 16,975噸
 
「私どもの乗る巨船浅間丸は、真っ黒な船体からじょうじょうと水を吐いていた。真っ白なキャビン、黄色なマストは輝いていた。…大ビルディング同様である」 浅間丸は、長さ178m 巾22m、太平洋の女王といわれた豪華客船である。「三等(船室)といっても快いベッド、キャビン…甲板に飛び出した。
…空は青、海は緑、絵の如き船、沿岸の町、モーターボート、ジャンク船すべて私の心にひしひしと応えた。…スミトモバンク、ポストオフィス、床屋、売店…ホスピタルという表札まである」もちろん一等船客専用のプールもある。
 「(龍田丸)…売店に行ったり、艦首・船尾で大洋を乗り切る雄壮さを味ったり何度も廊下を往来した。…寝台に横たわる、だんだん動揺してきた。頭がすうっと下がる。地獄にでも落ちるような気持ちだ。…ドアが勢いよく開かれて先生方が我々を元気づける為にお出でになった。…しかし遂に方々で仁丹を求める声が起こった。嘔吐の用意に器を身近に置く者もいた。」
 戦後、高校時代に一時琵琶湖遊覧や四国に渡る場合に船が利用されたが、海難事故があり、船舶の利用が禁止されてしまった事を考えると、まさに逆の意味で隔世の感がある。
 なお、桐中生が乗船したこれら船舶は、太平洋戦争において陸・海軍に
「徴用」され、全て、まさに「戦没」したのであった。
(乗船しなかった船舶のうち「戦没」を免れた船舶では、
現、横浜にある「氷川丸」、そして舞鶴への引き揚げ船「興安丸」が有名である)。
posted by 100年史編集者 at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 行事・生活
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