2010年12月24日

其の五十 もう幾つ寝るとお正月

 2010(平成22)年の師走、世の中は迷走するかのようにして新年を迎えようとしている。これでは一年の計も立たないかもしれない。
 学校は冬季休業に入る。
冬季休業は、明治時代から12月25日から1月7日までというのが基本になっている。もちろん、学校の始業が4月から始まり、三学期制をとり始めたのも明治時代からである。
 1月1日は、当時、皇室行事の「四方拝」にちなみ「四方節」と呼ばれ、紀元節・天長節と合わせ三大節と呼ばれ、一月一日は「休日」ではなかったが学校で式典が挙行された。また1927(昭和2)年、明治節が制定され四大節となった。
1918(大正7)年1月1日 新年拝賀式挙行(教務日誌抄)、毎年元日には学校に登校した。
 式次第
  一 生徒職員順次入場
  一 校旗入場
  一 一同敬礼
  一 御真影開扉 最敬礼
  一 国歌合唱
  一 学校長以下御真影奉拝
  一 勅語奉読 前後最敬礼
  一 御真影閉扉
  一 学校長式辞
  一 一同敬礼
  一 校旗退場、職員生徒退場
  一 神宮参拝
     (館高五十年史)
   
「元日の朝、登校の途中、色々な事が頭に浮かんできた。先ず第一に此のお正月をどんな風に過ごそうかなどとつまらない考えが浮かんで来た…」(昭和4年「桐中校報」、二年井田勢猪蔵=  代桐高校長)。
「君が代、校長先生の訓話があって後、解散した。家に着いたのが昼頃であった。…夜はカルタ・双六等をして楽しく第一日を過ごした」(二年大澤秀寿)。
多くは学校に登校したが、地元の小学校や青年団と共に祝ったり、中には、実家・故郷へ戻ったり、スキー場で新年を迎える生徒もいた。上級生は?
「…既に陸士の試験は始まり海兵・高師の試験を目前に控えて死にもの狂いで奮闘する人々の事を思えば、如何に無神経な者といえども頑張らざるを得ない。…これからの三月がものを言うのだ。だから今の僕には歳末も正月もない、僕の正月は四月だ」(昭和11年「桐中校報」四年沢辺正治)
「あと僅か五十日程の勉強が運命を支配するのだ。…この冬も正月気分を味わずに奮闘した」(四年前沢実)

 1941(昭和16)年の四方拝拝賀式には、陸海軍諸学校の先輩、高専先輩等多数参列する。
「皇紀二千六百第一年の元旦にも多数の先輩が、軍靴の音も厳かに本校に臨席せられた」とあり、昭和15年元日も諸先輩が臨席したことが窺える。
「…軍装きらびやかに陸海軍諸学校在学中の諸先輩がわざわざ列席せられて、一段と光彩を発って下さることは、本校近年の微笑ましい恒例である」と。
この日参列した陸軍士官学校在学生三人の内、二人は後に散華した。

 昭和20年は?
4・5年生は、尾島工場に動員、3年生は市内工場に動員という中で、
19年12月30日 「正月に帰省出来ないという話がありがっかりしていたが、帰れるようになったので嬉しかった」
20年1月1日 「十時四方拝に参列するための登校、校長訓話あり」
   1月2日 「中番(早番・中番・遅番という三交代制のことか)なので九時四十九分発の電車で尾島に帰る」(四年、藤掛日記)
*この年末「正月休みに帰省なしの連絡を聞き、集団脱走を企画・実行した者があったが直ちに召集され、奉安殿の前に土下座させられ厳重注意を受けたと聞く」(四年藤沼博、「80年史」)。この件に関しては何人かの進路変更が迫られたという証言も聞いているが、詳細は不明。

21年は、太中の記録では「挙行、外套使用許可」とある。
前年の12月26日に、御真影奉還に関する通達に係わり、
「来る一月一日の式場には奉還すべき御真影は奉掲せざること」とあり、式は実施されたと思える。

22年・23年、新年拝賀式は、挙行されなかった。
また、両年とも紀元節・天長節も挙行されず休日となった。22年の明治節は、新憲法が発布され、学校では桐工との野球試合があったという。
明治節の式典、或いは憲法発布の式典が有ったかどうかは不明である。
23年7月、以前の「休日」に係わる勅令は廃止となり、新たに「祝日」に係わる法律が制定され、一月一日は「祝日」となったのである。

追加 
国の祝祭日で休暇日とされたのは、1973(明治6)年の太政官布告に始まり、改正が重ねられ昭和2年の勅令による「国の祝祭日」で「休暇日」は、
 元始祭    1月 3日 (学校は冬季休業中)
 新年宴会   1月 5日 (   〃    )
 紀元節    2月11日 学校、その他で式典等あり
                           →建国記念の日
 春季皇霊祭   春分の日 (学校は休日) →春分の日
 神武天皇祭  4月 3日 (学校は春季休業中)
 天長節    4月29日 学校にて式典あり→みどりの日
                           →昭和の日
 神嘗祭   10月17日 (学校は休日)
 明治節   11月 3日 学校、その他で式典・体育行事あり 
→文化の日
 新嘗祭   11月23日 (学校は休日) →勤労感謝の日
 大正天皇祭 12月25日 (学校は冬季休業中)

旧制中学時代に実質的に休日となったのは祝祭日の内、3日であり、開校記念日(創立記念日)は、主に休業日とした場合が多い。
現在は、祝日は15日、また土曜・日曜日が休みである。
*なお、旧制女学校などにあっては、更に「皇后陛下御誕辰日」が、「地久節」と呼ばれ、昭和前期では3月6日であり、休業日となっていた。
年間授業日数を挙げると
  昭和10年前後   255日 プラスα
  昭和30年代    244日 前後
    最近      200日 前後

***桐中・桐高外史を4月から9ヶ月、50本の記事を掲載させていただき有り難うございました。
同窓の皆様から何かと御批判、御感想をいただけると思っていたのですが殆ど無く、何か一方通行のようでもありました。
同窓会のホームページであり、100周年誌の下書きの様な面もあり余り情緒的に、或いは個人的感慨として触れることは、出来るだけ避けてきましたので、面白みに欠けたかも知れません。これが個人的ブログであれば、事実・史実に基づきながら、ハチャメチャな事を書くことが出来たのかもしれません。難しいことであります。
来年(2011年)からは、どうしたら良いものか、小生も
「一年の計」が立たないかも知れない。とりあえず

皆々さま、
皆々さまは、ぜひ良いお年をお迎えください。

           2010(平成22)年12月24日
            桐中・桐高外史担当 木本 富雄
                      (昭34年卒)
posted by 100年史編集者 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | その他・閑話
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